七つの罪源と六根清浄から考える人間の感情

七つの罪源と六根清浄から考える人間の感情

 
「怒りとは?」 ということを深く考える機会があり、考えを巡らせていたところ「七つの大罪」を思い出しました。
 
七つの大罪については、サスペンス映画セブンを観て震えた記憶がある以外、全く知識がなかったので検索してみるとWikipediaにこう記載がありました。
 
「罪そのものよりも、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すもので、日本のカトリック教会では七つの罪源と訳している。」
 
その七つとは、
 
傲慢 強欲 嫉妬 憤怒 色欲 暴食 怠惰
 
だとされています。
 
個人的な理解では、傲慢強欲色欲などによって憤怒が引き起こされる。と思っているので、憤怒が横並びに表現されていることについてはもう少し深く考察が必要なのですが…
 
人は、
 
傲慢になったとき 強欲になったとき 嫉妬心に駆られたとき 色欲に支配されたとき 暴食に走ったとき 怠惰であるとき
 
(キリスト教のいう「罪」の定義はさておき) それを担保するため、そう感じている自分を正当化するために何か、または誰かに強い怒りを向けるのだと考えると私はとてもしっくりきます。
 
少し言葉が強いのでイメージしづらいかもしれませんが、例えば「私がこの人をわからせてあげよう」というのも傲慢だと考えると、ご自身の怒りの経験にもこの七つの罪源のいずれかが含まれていることが思い出されるのではないのでしょうか。
 
(暴食については、心と身体が繋がっていることも表すので興味深いですよね。暴食したら身体が乱れるので心も乱れます。)
 
そうは言っても人間ですから、この七つの欲や感情を否定したり完全回避することは難しい…。
ではどうしたらうまく向き合えるのか?
ということのヒントが今度は仏典のなかにありました。
 
(仏教についても恥ずかしながら知識は浅いのですが、すごいタイミングで家族が口にしたので、それだ!となりました)
 
それは「六根清浄」 人間に具わった六根を清らかにすることであるとWikiには記載されています。
 
六根とは、
 
眼根 視覚 耳根 聴覚 鼻根 嗅覚 舌根 味覚 身根 触覚 意根 意識
 
の、いわゆる「五感」に「意識」を加えた六つの感覚です。
 
六つの感覚が鈍り、調和していないから本質的な「在り方」「生き方」を見誤り、嫉妬心に駆られたり、傲慢になったりする…。
 
ですから、感覚を濁らせないように注意すること、注意していても濁っていくので意識して清浄することは私たちが軽やかに生きていくうえで大切なことなのです。
 
「感じる」を取り戻す重要性を、怒りの考察、七つの罪源、六根清浄から改めて考えさせられました。
 
こうして考えると、いかに時代が進み、科学が進歩し、文化が少しずつ変化しても、私たち人間がこの世界で迷い、戸惑いながら成長していく過程は遥か昔とあまり変わらないのかもしれません。
 
それは私にとって、時に苦しいものであったとしても、やはり人間の愛おしさそのものだと感じるのです。
 
自分の中の七つの罪源的な感覚に直面したとして、あなたはどう向き合いますか?
 
(本記事は2024年8月13日に公式LINEで配信した内容を加筆・修正したものです。)
 
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