涙の先にあるもの

涙の先にあるもの

 
「感じる」ことを完全に封印していた私は、幼少から「泣かない」自分に誇りすら持っていて、「今年もまだ一度も泣いてない!わたし、えらいなぁ」と涙の数を確認しては自分を褒めていました。
 
その抑圧のしわ寄せは、30年後くらいに一度にやってきたわけですが…。
 
しわ寄せから立ち直り始めた私は、「感じる力」を取り戻すべく、「悲しみ」「怒り」を感知して「泣く」練習をたくさんしました。
 
少しでも「悲しみ」や「怒り」の破片を自分の中に感じたら、見たくなくてもあえてそこにフォーカスするどころかズームしてズームして、泣かずにはいられないレベルまで見つめる。
 
すると次は、涙腺が緩むのを拒否して涙が出ないように身体がこわばっていくのを、あえて涙が出るように意識を向ける。
 
そうするとやっと、一滴の涙がこぼれてくる。
 
そんな訓練の繰り返しで、適切に「泣く」ということは、感情を溜め込まずに、健全に立ち直るためにとてもよい手段なのだと体感とともに理解し、今はだいぶ泣くのが上手になりました。
 
とはいえ、過剰に涙を抑えることの危うさやデメリットを、長年にわたって散々体験したわけです。
 
一方で、とにかく何にでも涙が出てしまうというタイプの方もいらっしゃいます。
 
私と同じような泣けないタイプの人から見たら、 「なんて感情表現が豊かなんだろう」とうらやましく思うかもしれません。
 
でも過剰な涙は、過剰な我慢と同じくらい注視すべきこと。
 
本来向かっていくべき内的なテーマにグッと入り込んでいくとき、人は強い不安や恐怖に包まれます。
 
それでも「見るべき」テーマに自分自身が入っていけるかどうかが、本質的な自分に還るための鍵になります。
 
ですが、涙はその道から意識を逸らしてしまう危険性を持っています。
 
理由にはいろいろなものがありますが、可能性の一つに「泣くという行為自体が安心を呼び出している」ということがあります。
 
「普段感じない感情を直視する」 ことよりも 「いつも通り泣く」 方が、私たち人間にとってよっぽど安全に感じるのです。
 
もしあなたがよく涙が出るタイプであれば、その涙はどんな感情から来ているのか、泣いているときの自分の内面をよく観察してみるとよいかもしれません。
 
あなたがセッション提供者であるならば、クライアントが涙を流したからと言って、必要以上に同調したり、「癒されたんだ」と断定して終わらせてはいけません。
 
出ない涙も。 出すぎる涙も。
 
涙は答えではない。 涙のその先にあるものを私たちは見ていく必要があるのです。
(本記事は2025年8月4日に公式LINEで配信した内容です)
 
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